産直システムのテレビ電話工事が行われた、来週は役場庁舎で半日がかりの取り扱い説明
早速、知人宅からかかって来る「顔が半分しか写っとらん」、「頭が光っとるよ」とかしょうもないやりとり
このシステムで販売管理が楽に良くなる予定。
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井戸についての相談を受け三重県津市まで出張、私は三年ぶり玲子さんは八年ぶりに訪れる地に着いたのは19時過ぎ 食事の準備をして私たち夫婦を待っていてくれた、腹がへっただろうにねぇ 翌日は朝から建設部の方と既設の数本の[調子の悪い]ボーリング井戸を調査して歩く 食事の時、歩いている時など出合うたびに「久しぶりじゃのぉ、元気?」、「何しに来たん?」と‘定型文’のやりとりから始まる 三年ぶりに見る顔だけど話しているうちに昨日まで一緒だった感じ、三年間の空白はどこへやら 仕事は順調に進んだと思ったら写真を全く写していなかった、でもまぁ友人たちとの大切な時間 はバッチリとパチリ 遊びの達人である浅さん、伊賀焼きの先生の新さん、設計や施工管理のプロの牧さんが 山小屋に駆けつけてくれた誰かが「新さん、あんたぁ伊賀焼きで登り窯の火を焚いているなら露 天風呂を焚いてぇ~」と、大胆さはあるが遠慮はない! しかしそれで数十年もやれている間柄、 皆飲んでいる、食べている、笑っている、大声でさわいでる、「新さんー、風呂ォー沸いたかぁー」と 飲みながら催促 集まったらいつものように鍋物や焼き物などが次々と、倉ちゃんが来る途中山に入ってキノコを採ってきたり食材を買ってきたり、 料理は元レストランの料理長の浅さん(ケーキ職人でもある)がとっても雑でグチャグチャの感じでやるけど美味い、 そしグチャグチャの仲間、でもこの空気にはいつまで浸っていても飽きる事がない心地良さ 遊びにあまりお金かけないがそのための知恵と時間と手間は通常では想像も出来ないほど惜しみなく注ぎ込む ‘心ある遊びの達人’たち 遊びが大きいほどに生きるエネルギーも大きくなっている。 はいまいちで周辺の田んぼの25%位しか収穫がなかった、 知人友人にも「食べて」と配る事は出来なかった、 夏の終わりには自宅の米も無くなり買った、 秋の豊作について神様と契約書を交わしていなかった、 勿論印紙も実印も一回千円の領収証も無しおまけに責任請負でもなさそうだった、 本当に神頼みだった。 親の墓参りもまともにやっていない自分にとって宮参りの時間と精神的な負担はある 地域の一人として又、日本人として行事に参加するのかなぁ・・・・・。 朝の天気予報では雨、コーヒー飲みながらガラス越しに田んぼの水溜りを観るとけっこう降っている 芋煮会当日の昼までは曇りの予報だったので参加者の皆さんには不安のまま連絡しなかった、しかし起きた時にはかなりの雨音「どーしょうかいのー」と思案しながら合羽を着て里芋堀り、二日前にも百個位は掘ったけど足りないのではともう百個位掘り足した、そんな事をしているうちに皆さんが来始める こうなったらやるしかない。 竹を横にして屋根の骨組みに後はブルーシートで雨除けとパレットでテーブルと椅子作り完了、皆さん合羽を着ての作業なかなかやる気 山口県の周防大島からコーヒーセット持参(いつものこと)で振舞ってもらった、紅葉の始まった自然いっぱいの山中で香りたつコーヒーをいただけるなんてなんちゅう贅沢なこと。 参加者十人十色で朝から準備する人、途中から参加の人、猪のロース肉を届けて食べずに帰り後日の片付けに来る人、そしていっぱいの差し入れの品、忙しかったけどとてもええ日だった! 子供の頃竹や木でいろいろな物を作るのが好きだった、田舎の倉の前辺りではよく竹とんぼを飛ばしていた、そんな様子が兄の記憶にあったのかも、イガグリ頭で半ズボンでウロウロしていたのを思い出す。 実家⑤で佐々木さん④で紹介されました 広島県北部の庄原市では個人の庭を一般家の方に観てもらえるように期間限定でオープンガーデンを開催、実家では木や草花に名札を取り付けたり来られた方の相手をしたり忙しくも楽しかった様子、 |
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